世界が驚く日本の乳牛改良

       世界が驚く日本の乳牛改良(検証と遺言)

     昭和46年から12年間、日本およびアメリカ・カナダの乳牛改良の歴史と現況を詳細に調査し、日本酪農の目標と乳牛改良の在り方を思考し、日本の総合指数を提案した。。それから30年が経過した今、これまでの経緯とともに、世界と日本の乳牛改良を比較し、私の提案の正しかったか否かを検証する。

 

 昭和43年5月恵庭事件判決により、私達の完全勝利は確定した。しかし、私達は損害賠償請求の民事訴訟は起こさなかった。周りからとやかく言われたり、自衛隊からあらぬ噂をたてられ営業を妨害されるより、牧場の再建を積極的に推し進める方をとりたったからであった。まず牧場の仕事を原点から見直すところから始めた。多くの酪農家は常識として、こう考えている。

Ⅰ・酪農に必要なことは「土づくり、草づくり、牛づくり」である。

2・酪農家にとって、「牛乳代は給料であり、子牛代金はボーナス」である。

 

 「土づくり、草づくり、牛づくり」の考え方の間違い

 「この考え方が間違いだ」というと、酪農家ならだれでも腰を抜かすほど驚くと思う。何故なら、酪農の大先輩K氏が言い始め、酪農家ならみんな、金科玉条のごとく覚えている言葉だからである。多くの日本の酪農家は、畑作農家からはじまった。それには「土の改良には有機質肥料が必要であり、そのためには家畜を飼って糞を利用すればよい」(糞畜農業)、次には「草を食べる家畜が経済的である。家畜を牛にすればば乳も売れる」(畑作酪農)さらに発展して「畑作物はやめて、草を植え、牛を飼い酪農でやっていこう」(専業酪農)という過程があったからではないかと思われる。

 しかしよく考えてみれば、「畑からとったものを売る農耕民族の農業」と「家畜からとれたものを販売する狩猟民族の農業」は全く違う農業である。

 畑作酪農初期までは良かった「土づくり、草づくり、牛づくり」の考え方が酪農専業になったら、発想を変えなければならなくなるのはそのためである。

 

 実は私が大学を卒業し、牧場に戻ったときに驚いたことがある。

 農業改良普及所の職員が牧場に来て、「家畜用トウモロコシの坪刈り(3.3平方メートルにどのくらい収量があるか調べること)に協力してほしい」と言ってきた。私が「どうするのか」と聞くと、各牧場の収穫量の比較をするのだというのである。私が「それはおかしい。例えば窒素肥料を多く与えれば、収穫量は多くなるが、それは乳牛にとって決して良い草とはいえず、病気の現因になる」というと、「そんなことをいうのはあなただけだ」と言われた。

 

 どこに間違いがあるかは、こう考えればだれでも気がつく。酪農専業にはどんな収入があるのかを考え、それを時代、環境、経営者の技量によって、得意分野に力を注げばよい。要するに原点から考えればよいことである。

 まず酪農家にとって一番重要なことは、牛たちが病気やけがをせずに、2歳半迄に初産、その後一年から一年半ごとに分娩し、4~5産出来るのが理想である。

 そのためには、乾牧草や家畜用トウモロコシサイレージ品質が重要である。

 確かに酪農家の多くは堆積した堆肥を散布し、化学肥料も撒いて、牧草やデントコーンを収穫し、サイレージや乾草を作り乳牛に与えてはいる。

 しかし、完熟していない堆肥で育てた飼料作物や2次発酵したサイレージは、窒素過多の牧草同様、「毒入りのえさと同じ」と言っていいほど、いろいろな病気の原因になるのを知らない酪農家もまた多いのである。

 乳牛は、乳量偏重の改良によっても、受胎率の低下や、乳房炎や肢蹄病の多発など影響が出て、牛の寿命が短くなるのである。その弊害を防ぐために、長命、連産、健康を保持し生涯能力を考えた機能的体型も重視すべきである。

 専業酪農には、牛乳、子牛(オスは肉牛の素牛、メスは後継牛または販売用)、老廃牛、糞尿(自家用以外は販売)、更に2次加工並びに販売が考えられる。

 

 したがって牛乳と子牛を販売することを主体にする専業の酪農にとっては、牛の改良と牛の管理に適した干し草やサイレージが必要であり、そのためにどのように土地を改良すればよいかを考えるべきである。すなわち専業酪農に必要なのは、「牛づくり、そのための草づくり、土づくり」である。

 健康で長命連産し、高成分の乳を多く搾ることのできる乳牛に改良し、畑は、適切な土壌調整を行うとともに高品質の堆肥を散布し、高品質のサイレージや乾草を作るべきであるが、適切な指導が行われている所は本当に少ない。

 完熟堆肥、高品質のサイレージづくりを是非指導してもらいたいものである。

 ここまで書いてきて気がついた。畑作の方も今は「健康で長生きの人づくり、そのための作物づくり、土づくり」と考えるべきであろう。

 有機農業の考え方がまさにその方向を示している。糞畜農業と有機農業は全く違う。堆肥は完熟していないと人にも牛にも害になるのである。

 

 また「牛乳代は給料であり、子牛代金はボーナス」の考えでは、漫然とした経営になってしまうが、「酪農は牛乳、子牛、老廃牛、糞尿を販売することが出来、それぞれ付加価値をつけることも可能である」と考えれば、時代、環境、経営者の技量によって、今なすべき事が鮮明に見えてくる。

 以上長々と述べたのは、どの業界にも常識や既成概念があり、原点からみると間違っていることが結構多いということを知ってほしかったからである。

 

 さて話を本論にもどしたい。牧場の再建にあたって、私が気になったのはアメリカやカナダの乳牛と日本との価格差があまりにも大きいことであった。当時最低でも日本で30万円位の経費のかかる初妊牛が、アメリカでは10万円前後で買えたのである。

 それは、日本の土地代も1頭当たりの人件費も、施設、農業機械、肥料、飼料等の代金もアメリカやカナダに比べて高いことに原因があった。このままではいずれ国際競争に負けてしまい、牧場の再建も意味がなくなってしまう。

 そのためにはまず、この問題を解決する必要があった。

 何かいい方法がないのか。まだ見つかっていないけど、きっと何か方法があるはずだ。いや、絶対何かある筈だ。以後、テレビを見ていても、遊んでいても、旅行をしていても、いつも頭の中にはアンテナを張っていたのである。

 

 ちょうどそのころ二冊の本が出た。日本ホルスタイン名鑑(上・下)、日本の歴代の名牛の系統譜であった。まずこれを使って、名牛の組み合わせに共通したパターンがないかを調べ上げていった。いろいろな仮説を立てては消去を繰り返す途方もない時間が過ぎていく。しかし、必ず牧場再建に役立つ何かが見つかることを信じて、まずブリーディングのありかたについての調査を続け、時には夜を徹して探し続けた。

 競走馬については、1900年初頭にイタリアの大金持ちが現在の金額に換算して数億円に相当する金額をかけて、名馬を作るための組み合わせを調べ上げたことは聞いていたが、乳牛に関して名牛を作るための組み合わせを系統立てて調べ上げようとした人は聞いたことがなかった。馬の繁殖については、速く走るという形質を求め、繁殖は自然交配に限定されているのに対して、牛の繁殖については、乳量,乳質、生涯能力等の形質を求め、人工授精がほぼ100%である。しかし交配する牝牛は酪農家の所有する牛であるので、改良については種牡牛からの遺伝に大きく期待せざるをえない。

 膨大な時間をかけた末注目したのは、系統繁殖のある組み合わせと遺伝的に安定した特別なファミリーの存在であった。然し、そのような調査をしたことが、カナダのブリーダー達の興味を引き、「ひょうたんから駒」が出て、世界中の酪農家のみならず、人工授精所や乳牛改良団体を驚かすようなことになるとは思いもつかなかった。

 

 1973年カナダをまわる牧場と人工授精所視察のツァーがあり、これに参加した。日本と違う大規模な牧場、名前だけは知っていたけれど有名な種牡牛達とその娘達、中でも当時世界中の牧場や人工授精所の垂涎の的となっていた種牡牛アグロエーカース ユニークとその娘が特に気にいった。それは、現物を見てもデータをみても、生涯能力に関わる機能的体型、そして牛乳の質(特に脂肪率)の大幅な改良が期待できたからである。またカナダの共進会に続いて、乳牛のセリが行われたが、私の調査したとおり、ある特別な組み合わせによる乳牛が高価に取引されていた。この旅行を通して感じたことは、日本での乳牛改良を志すのであれば、アメリカ、カナダに長く滞在して、かの地の乳牛改良事業を詳細に知ること、そして、日本の乳牛改良事業と種牡牛について改めて調べる必要性を感じたのである。その機会は乳牛改良の調査をしてきたために、翌年早くもそのチャンスがやってきたのであった。

 

 当時、日本には家畜改良事業団(国と県が主体)、北海道家畜改良事業団(道とホクレンが主体)、ジャパンホルスタインブリーディングサービス(ホルスタイン農協主体)の三つの人工授精所があり、それぞれ種牡牛を所有し、冷凍精液を販売していた。しかし、積極的な改良戦略があるとは思われず、ある時は乳量を追い求め、ある時はショーのための体型を追うという、漫然としたものであった。意識の高い酪農家は、既に死亡しているためプレミアつきで正価の数倍、一本数万円もする種牡牛のタネを競って買いあさっている状態であった。

 そこで地元の酪農家10人が対等出資して、カナダから種牡牛を輸入することになり、普段から乳牛改良の調査をしていることが評価され、私がその調査と選定の任に当たることになった。ビジネスホテルに泊まり、カナダの中間業者の案内で、トロントを中心に、ブリーダー、人工授精所、ホルスタイン登録協会等を一日平均300キロ以上走り回る毎日、その間に日本とカナダとの生活、文化の違い、アメリカとカナダとの乳牛改良の意識や目的の違いを学ぶとともに、何人かのブリーダーと友人になることが出来たのである。この集中的な勉強会とも言える一カ月の滞在によって、アメリカ、カナダの乳牛改良について得られたことは非常に大きかった。勿論、当初の目的である種牡牛の選定を無事に終え、その種牡牛ノーザンプリンスは北海道家畜改良事業団で委託管理販売をしてもらうことになったのであった。

 

 日本の乳牛改良の目標と戦略が、徐々に私の頭の中に浮かび始めた。それは、ハンデのある日本の酪農が、堂々と世界に伍して戦える方法でもあった。そのためには、まずアメリカやカナダの乳牛改良の実情をもっと知る必要があった。

 1977年頃アメリカの酪農雑誌にアメリカ・カナダの好成績の牛を比較したものが載った。それによると、アメリカの牛は初産の乳量が多いが比較的短命であるのが特徴、一方カナダの牛は総じて初産の乳量が多くはないが、生涯乳量や脂肪率において優れていることが分かった。

 アメリカの改良協会は各種牡牛の娘達の成績から、種牡牛総合指数(TPI)をつくり、アメリカ・カナダの成績の出ている種牡牛のランクづけをしてみた。

 

 最初のTPI=乳量1:乳脂肪率(蛋白率に比例)1:体型(生涯乳量に関係)1

 

 結果は、カナダの種牡牛が上位を多く占めてしまった。そこで、なんでも1位でなければ気が済まないアメリカの関係者は意図的に基準を変更した。

下記のように、アメリカにとって都合のよい、乳量に思い切り比重を高く置いたため、当然アメリカの種牡牛がTPI上位を独占する結果となった。

 

   その後のTPI=乳量3:乳脂肪率1:体型1

 

 賢明な方なら、お分かり頂けると思うが、アメリカの都合で変えられた基準では、娘たちの初産の乳量さえ多ければTPIの数値が良くなり、牛乳の成分が低い娘達や、短命な娘達しか出来ない種牡牛でも、TPI は高くなるのである。

 牛乳の成分の低いのは、生産者にとっても、消費者にとっても良いことではなく、ましてや短命な牛は酪農家にとっては、採算が取れないことにもなる。私は直ちにこれは問題であることを指摘してきたが、不思議なことにさしたる反対の声もなくアメリカで実践されてしまった。他の国を調べてみたら、さすが合理的な国ドイツの改良目標は、私の考えているものとほぼ同様であった。

 

   ドイツの改良目標=乳量1:蛋白率2:体型3

   私の提案したJTPI=乳量1~1.5:蛋白率2:体型3

 

 私の提案する改良目標は「乳量はプラスで消費者の求めるより質の良い牛乳を生産すると同時に、酪農家にとって望ましい長命性の娘たちを期待できる種牡牛が高い評価をされる」日本のTPI(JTPI) を作り、ブリーダーを目指す酪農家が率先してJTPI上位の種牡牛を利用すること。乳量の改良を必要とする乳牛についてはJTPI上位の種牡牛の中から、乳量の高い成績のものを選んで用いていくことにより,理にかなった急速な改良を行うことが出来る。

 アメリカのおかげで、世界の酪農二大大国アメリカ・カナダが間違った改良を行っている間に、日本がどこよりも先進国になりリーダーになるチャンスであった。そうすれば、経費が多い日本で作られた乳牛であっても、メス牛を種畜牛として輸出販売することも可能である。酪農新興国とも言える日本がそんなことを出来る筈がないと考える人がいるかもしれない。しかし考えてみてほしい。日本人にとって改良は得意なのである。電気製品にしても、自動車にしても、すでに存在しているものを改良し、世界を制してきたのである。

 

 じつは私は、その先も考えていた。それは「種を制する者は世界を制す」ということであった。JTPI の高い種牡牛を作り、あるいは世界の種牡牛の成績をJTPIに換算し、その数値の高い種牡牛を日本が輸入し、あるいは冷凍精液をまとめて輸入することが出来れば、「世界に冠たる酪農種畜王国」が実現できるのだ。JTPIの高い種牡牛を作るのには、長年苦労して見つけた「特殊ファミリーと系統繁殖の特別な組み合わせ」を使うことを考えていた。カナダやアメリカのブリーダー達が持っている特殊なファミリーのメス牛の導入を進めれば、それも可能だからである。勿論戦略目標は世界に向けて高価値の乳牛を種牡牛、種牝牛として高価に販売していくことで、酪農経営の安定を図ることであった。

 

 それからは、日本改良事業団、北海道家畜改良事業団、ジャパンホルスタインブリーディングサービス、そしてホルスタイン協会に何度も足を運んで繰り返し説明したが、乳牛改良を進めるべきどの団体も真剣に考え、取り入れていく考えはみられなかった。私の毎日は北海道内を駆け回って、種牡牛の宣伝と共に日本の乳牛改良について獣医師や酪農家たちとも話し合うこととなった。

 そして、日本の乳牛改良のため役に立つ情報ならびに種牡牛を調査するために、2年に一度はアメリカやカナダに出かけ、ブリーダーや改良協会の人達と改良について幾度となく話し合う機会を得た。

 

 あるとき、アグロエーカース牧場主とユニークについて話しているとき、彼の顔にふっと「売ってもいいか」という表情が浮かんだのを見逃さなかった。

 私は瞬間飛び上るほど驚いた。まさに「ひょうたんから駒が出る」という諺どおり、冗談で言っていたことが本当になってしまったからである。

 世界中の人工授精所が、のどから手が出るほど欲しがっていながら、誰も買うことのできなかったユニークという偉大な牛を手に入れる、一生一度の大チャンス。日本の乳牛改良にこの上なく役立つ種牡牛だったからであった

 最終的に高価格ではあったが、世界最高の偉大な種牡牛の獲得が決まった。

 

 ユニークが世界的に高い評価をされていることを示すエピソードがある。

1・取引が決まってすぐ、ユニークの娘達を数多く所有していることで有名なG牧場を訪問し、ユニークを獲得したことを告げると何百万ドルで買ったのかと聞かれた

2・カナダのホルスタイン登録協会に行って、ユニークの最新の成績を聞いたとき、事務局長にユニークを買ったと伝えると「冗談はよしてくれ。あの牛は絶対にカナダから出る筈のない牛だ」と言われた。

 3・帰国後数カ月して、カナダから連絡がきた。キャンセル料を30万ドル払うから取引はなかったことにしてくれないか」というものだった。

 私は「金儲けのためにユニークを買ったのではない。日本の乳牛改良のために買ったのでそれは出来ない」と断った。それは 百万ドルを超える金額でアグロ牧場に買いに入った組織があったせいだとあとで聞いた。

 4・世界的な乳牛改良雑誌ホルスタインジャーナルの表紙に、「カナダの名牛ユニーク日本に行く」と写真と共に載った。

 

 ユニークがついに日本にやってきた.勿論この牛もシンジケートを組んで所有し、北海道家畜改良事業団に委託管理販売を依頼した。それからの毎日は、全道全国を飛び回って、乳牛改良についての説明、提案を行うとともに、私が持ち込んだ種牡牛のセールスを行った。ユニークのタネは順調に売れていった。

 ところが、ユニークが来て2年目くらいになると、北海道家畜事業団が50%に手数料のアップを要求してきた。今までより2割も高い手数料では、種牡牛の所有者としては、死亡や事故のリスクもあり、高くてやっていけないのでいろいろ調べてみて驚いた。日本に改良効果の高い種牡牛が極端に少ないので、私達が苦労して輸入し、妥当な手数料を払ってきたのに、値上げする本当の理由は、種牛委託は北海道家畜事業団の顔が立たないというものだった。

 彼らの考える役人的発想にとっては、「勝手な改良基準を持ち出し、シンジケートを組んで、それに見合った種牡牛を次々と輸入し、次々と人気が出るようでは、何とか抑えなければならなかった」のであろう。

 改良効果が見られない選定基準が問題であり、もっと改良効果のあるように選ぶべきで、そうしないと日本の乳牛改良は、いつまでも進まないと考える者とは大きな違いがあった。いつの間にか私達の存在が、各人工授精所の経営を、根底から揺り動かすライバル的存在とみなされていたのである。

 現に業界から身を引くと決めてから私に、「貴兄の主張する改良理論と輸入する種牡牛を本当に脅威に感じた」と述懐した授精所の幹部がいた。

 ホルスタイン農協、ホクレン北海道庁、県、国すべての上部団体に対し、新たな価値観を持ち込み、その論理に基づく種牡牛を持ち込むことは、彼らにとっては、いわゆる聖域に入り込んで、それを壊す侵入者であり、排除すべき存在であったのであろう。ホルスタイン農協の総会で私は「アメリカのTPI を取り入れることは乳量偏重により、繁殖障害や乳望炎、肢蹄障害を生じ、生涯能力を短くする,ドイツの改良指針(乳量Ⅰ:乳蛋白率2: 機能的体型3)に近いものにするべき」と主張した。それに対し乳牛検定協会の責任者から「悪貨は良貨を駆逐する」とまで言われて反対された。 

 しかし、一年平均100戸単位で消滅していく北海道の酪農家の現実があった。

 アメリカの間違ったTPIが普及される前に、改良効果の高いJTPIの必要性を普及する。そのための改良効果の高い種牡牛が必要であった。この戦略を実行してゆかなければ、北海道酪農の将来は勿論、牧場の再建もなかった。誰かがこの壁を突破しなければならなかった。授精所の認可や利子の安い系統資金利用に対していろいろ妨害もあったが、ユニークを含め、6頭の種牡牛を繋養した北海道初めての民間人工授精所を設立した。専務には、北海道ホルスタイン農協参事を務めた小松慎一氏を招聘した。彼のおかげもあって私に同調する人たちも増えてきた頃、アメリカ穀物協会が日本に乗り込んできた。彼らの目的は、穀類特にトウモロコシを日本の畜産農家に大量に使ってもらうことだった。

「初産から出来るだけ乳を搾り、2産くらいで肉にして売るのが得策」と徹底的に宣伝して歩いた。また、アメリカの種牡牛を売りたいアメリカの乳牛改良協会と手を組んで日本の酪農家に対して、乳量改良だけにウエイトを置いたTPIの高い種牡牛を使うよう各地で講演を行い、大キャンペーンを張った。

 

 勿論、私達も反論も試みたが、積極的な改良戦略を持たない日本の乳牛改良団体は、唯々諾々とそれに従ってしまったのである。彼等は気がつかなかったのかもしれない。あるいは侵入者を排除するには丁度いいと考えたのかもしれない。しかし それは、日本が世界の主導権を握って改良を進め、生産費が高くても、酪農家の経営を安定させる機会が永久に失われたことを意味していた。

 私は、酪農雑誌のインタビューに応じて、最後の問題提起を行い、この業界から身を引くことを決めた。結果的にいろいろな所に迷惑をかけたことになったと思う。

 上部団体を相手にし、アメリカの乳牛改良協会も相手にして、私達は撤退に追い込まれたが、「日本の酪農発展の為にやるべき事をすべてやった。後は歴史が証明してくれる」と思っていた。そのせいかそれまで取り組んできたことに後悔する気持ちは全くなかった。むしろ不思議な満足感があった。

 

おりしも父が亡くなった。アメリカのTPIに基づく「頭数を多くして搾乳に徹し、2~3産で淘汰するのが理想」という夢のない酪農の先行きは見えていた。それで、牧場を整理し、次のステップに進むことにした。一年ほどして別の酪農雑誌社の記者が、「野崎は酪農業界にもう戻っては来ないだろうけれど、5年先を見ていた」とわざわざ立ち寄って評価してくれたのは嬉しかった。

 何故なら、「原点から考えて、時代によって変わることのないコンセプトを求めてきたこと」を少しは、理解してくれたからである。

 心ある獣医師や酪農家たちも残念がってくれた。私がこの業界を止めて初めて、アメリカのTPIの問題点に気がついた人たちも多かったのである。

 

 それから30年たった今、酪農業界は私の危惧したとおりの状況となっている。北海道の酪農家は毎年平均300戸も減り、改良に意欲のある酪農家もかなり少なくなって、共進会の人気は低下し、アメリカの戦略通り多頭数飼育し、搾乳するだけの夢のない酪農経営になったと聞く。また世界の総合指数も変化したが、日本の改良の方向性は旧態依然としていると聞く。

 その中でTPPによってさらに大変な時代を迎える酪農家のことを考えると心が痛む。そこで改めて私の主張が正しかったかどうか検証をしてみたいと思う。

 それは、いつも私が提案する「既成概念や常識にとらわれることなく、原点から物事を捉え、長期的な目標を立て、真剣に考えて臨めば、きっと目的を達せられる」ということの証明のためにも必要な検証だからである。

 

 別紙「国が違うと種牛改良の方向性も違う」の図1を見て頂きたい。健康形質の繁殖性、乳房炎、子牛の健康性、生産寿命は機能的体型と関係があるので、この表を見るときJTPIの能力:体型の成績配分は、乳量Ⅰの場合は

 

    能力=乳量+乳成分  :体型=機能的体型+健康形質

     3=1+2     :       3

     50%       :    50%

 

 乳量1.5(後述*印に注目)の場合は

    能力=乳量+乳成分 :体型=機能的体型+健康形質

    3.5 =1.5+2   :      3

      54%     :    46%

 

となる。一方当時のアメリカTPIの能力:体型の成績配分は

    能力=乳量+乳成分:体型=機能的体型+健康形質

      4=3+1   :    1

      80%    :   20%

 

 ところで、この図1を見てわかるように、今日本に入ってくるアメリカ、カナダ、ドイツの輸入精液種牡牛の能力:体型の成績配分はほぼ50%:50%。南アフリカの能力:体型成績配分もまた、私が当時主張した成績配分とほぼ同じである。

 当時のTPIの基準に問題があると私が何度も忠告したカナダは提案通り成績配分は50:50。私が問題にしたあのアメリカも、乳量偏重問題(後述)のせいで、当時とは逆に体型に重きを置いた成績配分およそ45:55に変更した。かつて低能力で悩んでいたオランダが、乳量偏重時代のアメリカのTPI上位牛を利用し、一時期アメリカのTPIベストスリーを独占したのにかかわらず(「国際化の進むホルスタインの改良」表4参照)、図1を見てわかるように、乳量偏重問題により、その後体型に重きを置き、能力:体型成績配分をおよそ32:68にしていることに注目すべきである。

 別紙「乳牛の泌乳曲線と乳房炎・肢蹄病及び受胎率との間の遺伝的関係」を見て頂きたい。遺伝学的に初産乳量が多ければ、初産時の乳房炎および肢蹄病になりやすい。また遺伝学的に乳量の改良に伴って、初産以後の受胎率の低下が懸念され、乳量のピークを調整しても繁殖性の期待は出来ないのである。

 このように乳量偏重の乳牛改良には問題があり、私の主張が正しかったことを世界が証明してくれたのである。まだどの国も本格的に取り組んでいない1980年代初めに、私の提案した総合指数JTPIを採用して乳牛改良に取り組んでいたら、今頃日本は、どの国にも負けない「世界に冠たる種畜王国」になっていたと思う。

 当時私は能力体型の成績配分を54:46の比率*に設定して改良を進め、その後50:50の成績配分に変更するのが理想であると考えていた。

残念ながら、誤った日本の乳牛改良指針のために、本来高く評価されるべき種牡牛も低評価され、弊社も撤退のやむなきに至り、本来高く評価されるべき牝牛も低評価され、改良に力を注いできたブリーダー達の力は大きく低下した。

貴重な遺伝資源の喪失のみならず、酪農家の改良意欲をそいだ罪は大きい。

 

 驚くべきことは、日本の総合指数NTPの能力:体型の成績配分75%:25%

 世界がこの事実を知ったなら、乳牛改良の後進性に驚くことであろう。

 別紙「総合指数と長命連産効果を使用したホルスタインの改良」を見てほしい。

 総合指数NTPが乳量偏重であるがゆえに、繁殖性及び生産寿命が問題になっているのに、乳牛改良のおおもと「ホルスタイン登録協会」がいまだに今のNTPの基準にしがみついて、新たに「長命連産効果」を持ち出したのには驚いた。何のための総合指数NTPかわからない。他の国が総合指数で改良を進めている中で、ダブルスタンダードは混乱をきたすだけである。

 アメリカやオランダにならって素直に改良指針の誤りを認め、NTPの能力:体型の成績配分を最初は45:55から35:65の間に設定し、10~15年位後に成績配分を、50:50に変更するだけで良いことに気づくべきである。前述したオランダやアメリカの乳牛改良の経過と図1が、それを示している。

 繰り返しになるが、乳量をより改良したい場合には、その時の総合指数上位の中から、乳量改良の多く期待できる種牡牛を探せばよいのである。

 もしこのままNTPの基準が変わらないのであれば、乳量偏重問題を解消するために、賢明な酪農家たちは、NTPを諦めて、能力より体型に成績配分が重く置かれた国の総合指数上位種牡牛を利用するしか方法が無くなる。

 このままのNTPの高い種牡牛を利用する酪農家たちは、ダブルスタンダードに戸惑う結果、壊滅的打撃をこうむることになるであろう。その兆候は既に現われ、遅きに失した感がある。その責任をだれが取るのであろうか

 さらに、日本の乳牛改良事業は「乳牛改良事業の失敗例」として、世界の乳牛改良の歴史に残ることになるであろう。一刻も早く改善を望むものである。

 

 かつて乳牛改良事業に取り組んでいた者の「検証と遺言」である 

                                                          野崎健美